LXA-OT1 |
AURATONE 5CT-V |
だいぶ時間がたってしまったが、LXA-OT1 を AURATONE 5CT-Vに繋いで音を出してみた。これぐらいの組み合わせは中々良い。
これで、雑誌の付録なのかと思うとなんとも言えない。
eBay で香港の c.kee から Nikon-EOS と、Nikon-Micro 4/3 のアダプタを購入、手元に来るまで2週間かかった。どちらも Pixco の箱に入っていた。2つで、4千円弱なので国内で買うより若干安い。
手持ちのレンズは、ほとんどNikonとCanon FD/FLなので、それらのすべてがGF1に付くようになったわけだ、既存資産の有効利用ができる素晴らしい。
今まで、EOS 10Dとの組み合わせでは、Nikkor-H Auto 1:2 f=50mmの袴がカメラ内部に当たってしまって使えなかったで、GF1で使えるようになったのは嬉しい。このレンズは、フィルムではお気に入りだったのだがデジタルでどうなるのかは楽しみだ。
今回、c.kee で購入したものと、以前 Fotodiox から購入したものを並べてみた。Fotodiox のものは、精度はなかなか良いが着脱がし辛い。上に乗っているのが、今回 c.kee から来たもの。こっちは、着脱部分がレバーになっており工夫されている、後は使ってみないと良くわからないが期待できそうだ。
望遠と言えば、動物園と並ぶ被写体の月。すっかり忘れていたが昨日Flickrを見ていて思い出した。600mm換算なので、結構大きく写ることが期待できる。
満月の場合の露出は Sunny 16 rule と同じはずと思ったのだが、少し迷った結果、1/125, F8, ISO 100で撮った。
少々明るすぎのようで、RAW現像時に -1/3 EV補正、素直に、1/100, F16にすれば良かったようだ。
チコクレータは分かるが光条は「あると言われるとあるかな?」と言う程度にしか写っていない。もう少し、コントラストが高いのを期待する。まあ、満月だからこの程度なのかもしれない。
子供の吹奏楽部の演奏を聴きに出かけた、写真を撮ろうかと思って、Canon New FD 300mm F4 を持っていったのだが席取りの場所が悪くちょうど顔が隠れてしまう。
気分を変えて20mm を付けて動画を撮ってみた。AVCHD lite の一番解像度が高いやつ。結局撮ったのは、30分ほど、iMovieで編集したら13分ほどになり、ファイナライズというのを選んだら4時間かかった。
720pのはずだが大変時間がかかる、我が家のMac miniには荷が重いようだ。
結果の動画もどうもピンと来ない暗かったせいか、画もあまり綺麗ではない。途中Canon New FD 300mm F4 で撮ってみたが、写真用小型三脚だとふらふらしてしまうしパンもできないし結局直ぐ諦めた。
「動画も撮れます」と言われても使うほうがついていけない。人の問題だけでなく、三脚などの撮映装備と後処理の機材がそれなりでないと動画は厳しそうだ。
春になったら、マクロレンズを付けて昆虫の動画でもとりに行ってみたいと思う。そのときは、動きが遅いやつを狙うことにしよう。
ソニーがEマウント基本仕様を無償開示することにしたそうだ。マウントの情報は公開して、ロゴ使いたいときだけ審査して有料で使わせるというのが良いのでないかと思う。
情報を公開すれば、レンズだけではなく、マウントアダプターなども面白いものが出てくるかもしれない。クローズドな方法ではなく、メーカーはだれもが参入できるマーケット(場)のを提供できることが大切だろう。
参照:
レンズ交換式一眼カメラのマウント「Eマウント」の基本仕様を無償開示
今回は、GF1+Canon FL 50mm F1.4 II 。このレンズは後期型で光学系が新設計、「Petzval sumを最小化することで非点収差を改善、特に中間から周辺部にかけての画質が向上。近接時の品質も安定」という代物らしい。
Canonの 50mm F1.8は、ライカLマウントの「セレナー50mm F1.8」に始まって、現在のEF マウントのものまで安価で写りが良く素晴らしく、Canonのカメラを支えているレンズと言える。ズームレンズ全盛の昨今では影で支える程度かもしれないが。
あまりに純正品が高いので、ROWAの DMW-BLB13 互換バッテリー買った。バッテリーの残量表示が怪しいような気がするが、容量的には純正品とほとんど違いを感じない。
参考:FL 50mm F 1.8 II
Canonに期待するミラーレスについて考えてみた。
ミラーレースであっても光学ファインダーは欲しい。普段の撮影は光学ファインダーにHUDで各種情報を表示してくれる程度で十分だ。
ピントの問題は、ピントの合っている場所を光学ファインダーにHUDのようにオーバーレイで表示してくれれば良い。
GF1の用にピント位置を拡大してくれるのは魅力的なので、そのためにEVFと切り替える機能があると良いと思う。
最近のデジタル一眼には載せていないようだが視線入力も復活して欲しいところだ、できれば視線のジェスチャーでもろもろの操作を入力できるようにして欲しい。
それで、大きさがM3ぐらいに収まれば言うことは無い。大きさに関してはM5程度が最大な気がする。バルナックサイズも良いが、光学ファインダーを考えるとM3程度の大きさは必要だろう。
値段は安いに越したことはないが、光学ファインダーを充実させてあれば、5D程度の値段であっても結構売れるのではないかと思う。
イメージ的には、ボディはCanon P Digital で、レンズは、S(L) か、M マウントのパリエーションが良さそうな感じだ。AFや絞りなどのレンズの電子化を考えると、バヨネットマウントの方が良いと思うので、あまりマウントを増やして欲しくはないということも考慮すると、M マウントは妥当な気がするがどうだろうか。そうするとレンズは、M マウント+新規電子接点あたりに落ち着きそうな気がする。
映像素子は、35mm フルサイズが嬉しいが、ASP-Cサイズの廉価版も欲しいかなと思う。
Fuji FinePix X100は、ほとんど同じような感じだが、レンズ交換できないので面白さが激減している。
フルサイズとASP-Cサイズの両方を用意して、Mマウント+電子接点のマウントで、Canon P Digital と名乗るなどして欲しい。これは歴史と実力を兼ね備えたキャノンにしかできないのではないかと思う。
どうだろうか。
国立科学博物館にあった、東京電灯のブラッシュ交流発電機です。解説には、「東京電燈株式会社で明治20年代(1888-1898)に使用され」とありました。アーク灯用の発電機として使われたものです。
エジソン電灯会社の設立が1878年、ブラッシュ電気会社設立が1880年、東京電灯会社が事業を始めたのが1889年、ブラッシュ電気会社がエジソン電灯会社が合併してゼネラル・エレクトリック(GE)社となったのが、1892年。
ちょうど、この発電機が使われた頃の時代がアーク灯から電球に切り替わり町に灯りが点った時代だったようです。
ニコラス・カー氏の言うところのクラウド前の状況で使われた発電機ですね。
参考:電気の歴史年表
LUMUX DMC-GF1 と Canon New FD 300mm F4(1979年発売)を持って上野動物園に行ってきた。これぐらいの望遠になるとなかなか出番がない、子供の運動会、動物園、飛行場、鳥ぐらいしか撮るものがないのではないか。
とりあえず、何時でも撮れる手軽な定番の動物園に行ってみた。
先日の植物園と同じで色収差が目立つ。
等倍にしないと気にならないのかもしれないが残念な結果だ。今回、軸上色収差のことをすっかり忘れて、前回と同じで開放で撮ってしまった。次回は、もう少し絞り込んだら軸上色収差がなくなるのかどうかというあたりを試してみよう。
前に、AI NIKKOR 300mm F4.5 を EOS 10Dに付けて撮った時も、色収差は凄いしピントは合わせづらいしで厳しかったので、このころの300mm F4 で廉価版クラスのレンズとしてはこの程度が普通のレベルだったのかもしれない。
今度Docomoから出る LGの携帯 L-03C は、ほとんどコンデジと区別がつかない。
1/2.3型CCD で、F3.1始まりの3倍ズーム、しっかりとしたシャッターボタン、Optio RS1000 と似たようなスペックだが、グリップや、シャッター周りなどは L-03Cの方がよりカメラらしいほどだ。
ハードウェア的には、普及型のコンデジと同等と言っても良いだろう。iPhone のカメラでもコンデジの地位を脅かすと思っていたが、L-03C のスペックだとコンデジに携帯機能を内蔵した言っても何ら問題が無い。
この様子だと携帯によって腕時計をもつ人が減ったように、コンデジも駆逐されるのかもしれない。そのときは、趣味性が高いものだけが生き残ることになるだろう。
最近のデジカメが実によく映る。原理からいうとRGBの格子状のフィルター通ってきた光をCOMS/CCDの感光素子で捉えているわけで、1000万素子とか言ってもRGBそれぞれに分けると1/3程度、(正確に言うとベイヤー構造なので、R:1,G:2,B:1) で、各色250万画素程度の解像度となる。
これが多いか少ないかは議論の余地があるところだが、実感でいうと600万画素程度あればフィルムと遜色ない感じだ。
一口にフィルムと言っても、微粒子のものから高感度で粒子の荒い物まで種々雑多で比較の対象に困るが、普段使っていた、ISO 100から400の間のカラーネガと比較すると600万画素程度でフィルムと同じかなという感じる。
RAWデータをいじるとあまりに大きく変わるので、「本来の絵はなんなのか?」という気にはなるが、撮影時の意識に映像を近づけることができるのは素晴らしい。
RAW現像というと聞こえは良いが、レタッチと基本は同じなので加減が難しい。
レンズの収差補正もソフトウェア的に行うと言われると、「余計本当の絵はなに?」と言う気になる。
まあ、びっくりするぐらい LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH はよく写る。ボケも綺麗だ。
所有の Summar f=5cm 1:2 はあまりコンディションが良くなく、レンズにはクリアさが欠け、絞りもヘリコイドもスムーズに動かない代物だがデジタルで気軽に使えるとなるとなんとなく使ってみたくなる。
撮ってみても結局RAWをいじくり回して、なんだかわからないようになってしまっているのが残念でもあり、楽しくもありと言う感じだ。
SILKYPIXがいまいちだと思い、Mac App Store で安くなったのを機会に Aperture を試してみたが、これもピンと来ない。DPPは意外とよくできいるんだと改めて関心した。
なんだかんだ言って、まだ、Canon EOS デジタルの総合力は一歩先んじているのかもしれない。
とは言っても、Nikon は試したことがない。そのうち試してみたいと思う。
東京国立博物館はカメラを持って出かけるには良い所だった、都内の撮影スポットとしては有数の良い場合ではないだろうか。国内の博物館、美術館は撮影禁止のところが多いイメージだったのと、暗いと三脚無しでは厳しいということもあって、今まで撮影場所として意識していなかった。
東京国立博物館は原則撮影許可で、撮影禁止の展示物はその旨掲示するという方針だそうだ。展示物のほとんどは、東京国立博物館が所有権を保持しており、著作権も切れているので、そのようなことができるのでないかと思う。
三脚が使えないのは厳しいが最近のデジカメは暗いところに強いので結構楽しめる。残念ながら、GF1は高感度特性が悪くISO 400が限界だ、モノクロにしてしまうとISO 800でも十分見栄えのする絵を出してくれる。
レンズもハイスピードということで、Canon FL 55mm F1.2を使った、このレンズは、モノクロで使うと開放でも十分使えるが、カラーではボケの汚さが気になるときがある。
Canon FL 55mm F1.2 は、カラー時代に入ってからのレンズのはずなので、カラーが苦手というのはどうなのかと思うが、レンズの明るさ重視の設計なのだろう。
キャノン カメラ ミュージアムには「5群7枚構成、うち4枚の新種ガラスの適切な光学系配置により高次の球面収差、像面湾曲を十分に除去し、大口径レンズに起こりがちな内面反射の吸収も完璧に近づけている」と書いてある。当時はまだマルチコート前なので、レンズの構成枚数を多くするわけにもいかず、大変だとだったのではないかと思われる。
博物館内で博物館の宣伝ようのポスターにオリンパス35DCを発見。SPだと大きくECだとF2.8で少しレンズが暗い。DCだと、小さくても40mm F1.7のレンズである、なかなか渋い選択だ。
キャノン カメラ ミュージアム:FL55mm F1.2
LUMIX G 20mm/F1.7 ASPHは、キットレンズにも関わらず非常によく映る、最短距離が0.2mなのも使いやすい。最新の光学技術とデジタル技術の融合がここにある、素晴らしい。
収差が無いのはそれはそれで素晴らしいが、写真として鑑賞したときに撮りたいものが表現できるかどうかは別の問題だ。収差によって実際には存在しないものが映ってしまうのとうのは気になるが、頭の中で結像したイメージをどのようにカメラで写し撮るかという観点で言うと、収差も表現方法としてあっても良い。ただ、色収差はなんともし難く邪魔なだけのように思う、口径食も使えない。
そういう観点からいうと、Summar f=5cm 1:2 の感じは、いい味と言えるのかもしれない。
良いレンズかどうかの評価は「自分の表現に使えるか」という観点で考えるのが良いように思う。
朝日新聞 Globe No.55 「写真は死んでいくのか」が面白かった。インターネット版にリンクをしておくが読むなら紙の方をお勧めする。どうも、同じものでは無いようだ。
写真の世界では、ここ数年の間で高価な機材、特殊な訓練などでプロフェッショナルな世界で閉じていたものが、急速に低価格化、自動化が進み、コモディティ化されたためにプロとアマの境界が曖昧になり職業としての写真家が苦しい状況になっているというのに対して、写真自体は力を増しているという話だ。
このような変化は、日々他の分野においてもありコモディティ化によるブランドの消失、画一化で産業構造が変化している。
写真に置いては、その変化が急激で産業構造の変化にプロ側が追従しきれないという問題が起きているように思う。職業写真家でも高価な機材、特殊な訓練で保護されていない領域で勝負をしていれば生き残れるが、コモディティ化された領域だけで勝負をしていた場合は厳しい現実が待っている。
情報技術の発展によって、従来では考えられなかった速度で、予想外の場所で変化が起こることが多くなるだろう。
この記事で、取材の対象になっている写真家はいずれもコモディティ化された領域外を持っている方のようなのだが、それだけでなく、コモディティ化された領域で仕事をしていた人達に切り込んだ記事もあると面白かったと思う。
そのあたりは、どちらかというと個人事業主、解雇規制、雇用流動性などの雇用の問題なので少し毛色が違うが、流動性を担保するのは今後の日本経済を考えると重要な問題だ。
LUMUX DMC-GF1, Canon New FD 300mm F4(1979年発売)と一脚をもって写真を撮りに出かけた。さすがに、この長さになると手持ちは厳しい。
GF1ではピントが拡大で確認できるのは良いが手持ちで液晶覗き込みでは像が定まりずらい。開放で取りたいのでシャッタ速度は稼げるがピントが薄いのも厳しく、素直に一脚などを使った方が精神衛生上良い。この組み合わせだとフロントヘビーになり過ぎるのもピント合わせが難しくなる原因のようだ。
これらの問題は、一脚を使うとほとんど解消する。
撮ったものを等倍でよく見てみると赤と青の色収差が結構でているのに気がついた。フィルム時代は、よほど色収差がひどい場合でないと気付かなかっただろうがデジタルでは容易に拡大できるので容易に確認できる。上の写真だと、茎のあたりなどに赤と青の部分が出ている。開放(F4)で撮っているので、絞り込むことで軽減される軸上色収差も出ているはずなのでレンズにとって悪い条件ではある。
まあ、今回使ったレンズ(L無し版)は、発売当時としても普及品扱いだったので、こんなものかもしれないという気もするが、こうなると、Canon New FD 300mm F4Lとも比較して見たいが残念ながら手元にない。(結構いい値段するので、試しに買うのも躊躇する)
最近は普及品でも、低分散、異常分散ガラス、非球面などを使うのが当たり前のようで、もっと上手く収差を抑えこんでいるようだ、さすがに30年経つと進歩するものだと感じる。
とは言っても、等倍ぐらいにしないと気がつかないので実用上は問題無いように思う。試しに、SILKPIXでRAW現像するときに補正を試みたが上手くいかなかった。これについては、もうしこし調べてみて再度やってみようと思う。
どっちかというと、35mm換算600mmは長すぎて手に余るのが問題、あまり出番は無いのかなと思う。
Nikon D3/D300は、ボディ内で倍率色収差軽減をしているらしい。こういう所がニコンらしいというか手を抜かない姿勢を感じて好ましい。
色収差について
第15回 :「レンズの大敵を知る」 ~収差 1~ デジカメの「しくみ」
繋げるのが面倒、週末にでも挑戦しよう。
ボリュームを手前に持ってくれば良かったと反省。
TDA7491HV20W+20W dual BTL class-D audio amplifier